# わかっていないこと

**このリストを埋めることが、このアーカイブの目的です。**

うろ覚えでも、「たしかこうだった気がする」でも構いません。
確証のない話は「未確認」と明記したうえで残します。

最終更新: 2026年9月27日（第7版・村の記録から出てきた問いを追加）

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## ★ いま特に知りたいこと

### ヤレカガオギレ

**この言葉は、国立国会図書館の全文検索をかけても一件も出てきませんでした。**
活字になっていない。つまり、覚えている人の中にしかない言葉です。

- [ ] 語の正確な由来
- [ ] いつ頃から行われているのか
- [ ] 誰が（どの年齢・どの役の人が）戸を叩いて回るのか
- [ ] 何時頃に始まるのか
- [ ] 叩かれた家の側は、どう応えるのか
- [ ] **いまも行われているのか**

> 紹介記事にはこの習わしが書かれていますが、そのもとになった記述がいつのものか分かりません。
> いまも続いているのかどうかも、確かめられていません。

### 大輪について

- [ ] どの町内が受け持ってきたのか
- [ ] **昭和42年（1967年）に流されたとき、どの部分が残ったのか**
- [ ] **いま町を回っている大輪は、いつ作られたものか。「何代目」と数えるのか**
- [ ] 担ぎ手になれる条件はあったのか
- [ ] 普段はどこに保管されているのか。誰が、いつから組み立てるのか
- [ ] 人形は祭りの前どこに置かれ、誰が載せるのか
- [ ] **「仁徳天皇のお供」として同乗するのは、どういう役なのか**
- [ ] **樽神輿の七人が家系で決まっているのは、いつからか。どの家か**

> **新しく作ったところ、あおりの高さが上がったという話があります。**
> 制作者が実演を見て「これは壊れる」とこぼしたとも聞きました。
> **これがいつのことで、どこを作り直したのかを確かめたい。**

**手がかりが一つ出ました。** 平成29年度（2017年）に、下関自治会が
「**下関大祭大輪の修繕**」として**250万円**の宝くじ助成（10分の10）を受けています。
9年前です。しかし記録は事業名と金額だけで、**中身が書かれていません。**

- [ ] **2017年の修繕で、どこを直したのか**（車輪か、台か、高欄か、全体か）
- [ ] あおりの高さが変わったのは、このときか
- [ ] 誰が作ったのか。村内の職人か、村外の工房か
- [ ] このほかに修繕した年はあるか

### 「あおり」について

- [ ] いつからあるのか
- [ ] 新発田の台輪にも同じ所作がある。誰かが見て持ち帰った、という話を聞いたことはないか
- [ ] **「花があがりました」の掛け声は、いつからのものか**
- [ ] **「大輪」の読みは「だいわ」でよいか**
      （担ぎ手の方は「だいわ」と呼びます。ただし文献に読みの記載がありません。
      　新発田は「台輪（だいわ）」。同じ読みであることに意味があるかもしれません）
- [ ] 「手木（てぎ）」という語を使うか

### 「大蔵」という社名の由来

村の中に、二つの説明が並んでいます。

1. 創建は大同年間（806年）以前（神社の由緒書／県の報告書）
2. 座頭・蔵の市を「琵琶と共に大蔵様として祀り上げた」（関川村観光協会）

2に立つと社名は「蔵の市」由来になりますが、伝説が文書に残るのは
承応2年（1653年）の『大蔵神社略縁起』。806年以前とは800年以上の開きがあります。
さらに『関川村史』には「佐伯郷」→「さえき」→「せき」の転訛説も載っています。

- [ ] 地元では、どのように伝わっているか

### 行列の先頭を歩く天狗の役

**2026年9月26日、運営者が撮影した映像から新たに見つかった役です。**
`docs/known.md` にも本ページにも、これまで記載がありませんでした。

映像で確認できること（2026年の本祭り・大蔵神社の鳥居を出る行列の先頭付近）：

- **赤い面。長い鼻。白い髯と白い髪**
- **先の尖った冠（鳥兜と思われる）**
- **金襴の袍。緑の地紋の袴**
- **長い鉾（または杖）を持つ**
- 両脇に「大蔵神社」「大字下関」と染めた紺の法被の人が付き添う
- 同じ姿が、役場前の広場でも確認できる

この姿は、一般には**猿田彦（さるたひこ）**と呼ばれる先導の役にあたります。
ただし**大蔵神社の祭神は須佐之男命・大己貴命・櫛稲田姫命**であり、猿田彦は祭神ではありません。
神輿に乗るのが祭神で、この役はその前を歩いて道を進む役、という理解になります。

**ただし、下関でどう呼ばれているかは分かっていません。**

- [ ] **この役を、町内では何と呼ぶか**（天狗／猿田彦／別の呼び名）
- [ ] 誰が務めるのか。決まった家があるのか、その年ごとに決めるのか
- [ ] 務めるための条件はあるか
- [ ] 面はいつ作られたものか。普段どこに保管されているか
- [ ] 行列のどの位置を歩くと決まっているか
- [ ] 道を清める所作など、決まった動きはあるか
- [ ] **2025年の映像では確認できていない。**毎年出るのか、年によって出ないことがあるのか

> **未確認**：上は映像から読み取れることだけです。面の種類の呼び分け（天狗面・猿田彦面）も、
> 下関での実際の呼称も確かめていません。**ご存じの方に教えていただきたい項目です。**

### 神幸行列について ★新しく加わった問い

写真から、行列に次のものが出ていることが分かりました。
**しかし、それぞれが何と呼ばれ、誰が務める役なのかは分かっていません。**

- [ ] **面をつけた人物を、地元では何と呼ぶか**
      （赤ら顔・高い鼻・白い長髭。猿田彦の面の典型ですが、呼び名は土地ごとに違います）
- [ ] その役は誰が務めるのか。決まった家か、持ち回りか
- [ ] **面はいつからあるものか。どこに保管されているか**
- [ ] **薙刀は何と呼ぶか。何本あるか。誰が持つ役か**
- [ ] **幡に描かれているのは何か。いつからあるものか**
- [ ] 行列の順序は決まっているか。昔から同じか
- [ ] なくなった役はあるか
- [ ] **役が家で決まっているのは樽神輿の七人だけか。行列の他の役にもあるか**
- [ ] 賽銭箱を担いで回るのは、いつからの習わしか

### 村内の、ほかの行事 ★新しく加わった問い

村議会の会議録から、**下関大祭以外にも続いている行事**があることが分かりました。
しかし**ウェブ上には情報が一つもありません。**「高田まつり」「高田の大輪」
「大蔵神社の夏越の祓」は、検索しても何も出てきません。

**知らないだけで、いまも続いていることがある。** ここを埋めたいと思っています。

#### 高田集落の大輪と「高田まつり」

- [ ] **高田まつりは、いつ行われるのか**
- [ ] **高田の大輪は、いつからあるのか**
- [ ] 下関の大輪と関係があるのか（型を参考にした、など）
- [ ] 2019年に作られた「こども大輪」は、いまも出ているのか
- [ ] 高田の盆踊りのやぐらは、いつ立つのか

#### 大蔵神社の夏越のお祓い

- [ ] **いまも行われているのか。何月何日か**
- [ ] どういう行事なのか（茅の輪をくぐるのか、人形を流すのか）
- [ ] 秋の祭礼とのつながりはあるか
- [ ] 江戸時代の記録にある「旧暦3月の祭礼」と関係があるか

#### 盆踊り

- [ ] **どの集落の盆踊りか**（村内のいくつかの集落にあるのか）
- [ ] 保存会の名前は何か
- [ ] 小中学生の練習会は、いまも続いているか
- [ ] 下関にも盆踊りはあるか

#### ほかの集落の芸能

- [ ] **大石の獅子舞は、村指定の無形文化財か**（会議録の発言では「指定されている」とされています）
- [ ] 南中集落の三匹獅子・剣の舞は、いまも行われているか
- [ ] いつ行われるのか。どこで見られるのか

#### 村の教材に祭りは載っているか

小学校のふるさと学習では、社会科副読本『**私たちの関川村**』
（令和2年度改訂・関川村教育委員会と関川小学校の共編）が使われています。

- [ ] **この副読本に、下関大祭の記述はあるか**
- [ ] 学校で下関大祭を学ぶ機会はあるか
      （村議会の答弁で挙がるのは大したもん蛇まつりで、下関大祭への言及はありません）

### 役と人

- [ ] 稚児舞は誰が舞うのか（あることは確認できました）
- [ ] 神輿を守る「おもだち（重立ち）」という役はあるか
- [ ] 祭りを運営しているのはどういう組織か
- [ ] 女性・子どもの関わり方は昔と変わったか

### 変遷

- [ ] 戦中・戦後に中断した時期はあるか
- [ ] 昭和42年の水害のあと、祭りはどうなったのか
- [ ] 昔と今で変わったこと。なくなった演目や役割

### 音・食べ物・道具

- [ ] **木の車輪が道に落ちる音は、どんな音か**（記録が見つかっていません）
- [ ] 囃子の曲目・楽器・伝承のされ方
- [ ] 祭りの日に食べる決まった料理はあるか
- [ ] 祭り特有の掛け声（ヤレカガオギレ以外）

### 記録

- [ ] 古い写真・映像をお持ちの方
- [ ] 過去のポスター・チラシ・手ぬぐい

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## 埋まった問い

答えが見つかった問いを、答えとあわせて残しています。

### 2026年9月27日（村と国の公的記録による）

**Q. 大輪を作り直したのはいつか**
A. **完全には分かっていませんが、平成29年度（2017年）に修繕の記録があります。**
　 下関自治会が「下関大祭大輪の修繕」として**250万円**の宝くじ助成（10分の10）を受けました。
　 **ただし「修繕」の中身は記録されていません。**
　 （平成29年第2回関川村議会定例会 会議録／自治総合センター 平成29年度コミュニティ助成金決定額）

**Q. 練習はいつから始まるのか**
A. **8月中旬**からです。「8月中旬から、下関まつりのために練習をする、太鼓や笛の音が聞こえて」
　 （広報せきかわ 2025年9月号 編集後記）

**Q. 村の広報紙は、この祭りをどう扱っているか**
A. **扱っていません。** お知らせ版70号（2023年6月〜2026年9月）と、
　 祭りの翌月にあたる本誌10月号（令和6年・令和7年）を全文検索しましたが、
　 「大祭」「大輪」「山車」「下関まつり」はいずれも0件でした
　 （編集後記の一文を除く）。**集落の行事は村の広報の対象になっていません。**

### 2026年9月26日（現地の写真による）

**Q. 大蔵神社に「座頭宮」という呼び名は、いまも使われているか**
A. **使われています。** 境内の標柱に「大藏神社」と並べて
　 **「座頭宮」**と書かれているのが、2026年の写真で確認できました。
　 過去の記録上の呼称ではなく、現在も社号として生きています。

**Q. 行列の長い棒状のものは何か**
A. **薙刀（なぎなた）**です。黒漆塗りの柄に反った刃。
　 刃の根元に黄色の金具、赤い房。少なくとも2本。
　 ※ 何と呼ばれ、誰が持つ役なのかは未確認です。

### 2026年9月26日（担ぎ手の証言による）

**Q. 大輪は全部で何基あるのか**
A. **一基**です。

**Q. 車輪はいくつあるのか**
A. **二つ**。**木のままで、鉄の輪は巻いていません。**大きさは人の背丈よりやや高いくらい。
　 村上のおしゃぎり（二輪）と同じで、新発田の台輪（三輪）とは異なります。

**Q. 稚児舞はいまもあるか**
A. **あります。**誰が舞うかは未確認です。

**Q. あおりは何人でやるのか**
A. 大輪の前に4人、車輪に左右1人ずつ、後ろに3人。**紐を引くのが約30〜40人。**

**Q. あおりはどういう合図で始まるのか**
A. **「張ってください」「◯◯様より花があがりました」**の声で始まります。
　 「花」は祝儀のこと。**誰かが花を出すと、そこであおりが行われます。**

**Q. 囃子は誰が演奏するのか**
A. **大輪に乗っている人**が笛と太鼓を演奏します。紐を引く側に決まった掛け声はありません。

（出典：[2026年9月26日の担ぎ手の証言](../testimonies/20260926_owa_ninaite.md)）

### 2026年9月25日

**Q. 祭りはいつ始まったのか**
A. 祭りそのものの始まりは、まだ確定していません。ただし**大輪は宝暦4年（1754年）製作と云われています**。
　 江戸時代の記録に「祭礼ニハ足揃ノネリ物出ル也」とあり、練り物が出ていました。
　 氏神三社の祭礼は、旧暦3月と8月に行われていました。
　 （『新潟県の山車』新潟県教育委員会 1987／『北越の豪農 渡辺家の歴史』1992）

**Q. 乗せ物（人形）の題材は何か。なぜそれなのか**
A. **仁徳天皇**。民の家から炊事の煙が上がらないのを見て三年間税を免じたという故事にちなみ、
　 **高殿より四方を眺める姿**を表し、頭に烏帽子をかぶっています。
　 （『新潟県の山車』1987）

**Q. 地元の呼称は「台輪」か「大輪」か**
A. **「大輪」**です。県の調査報告書も村史も「大輪」を用いています。

**Q. 渡邉家は祭り・神社にどう関わったのか**
A. **享保18年（1733年）、渡邉家四代・善永が大蔵神社の社殿を再建しました。**
　 神社の神主は吉田家で、渡邉家は吉田家を援けていました。
　 （『北越の豪農 渡辺家の歴史』1992）

**Q. 承応2年の縁起とは何か**
A. **『大蔵神社略縁起』**です。ほかに**『大蔵祠詞』**も神社に伝わり、二つ合わせて伝説の原型とされています。
　 略縁起の本文は『越後荒川をめぐる民俗誌』（赤羽正春 編）に翻刻されています。

**Q. 大輪に中断・断絶はあったか**
A. **昭和42年（1967年）の羽越大水害のとき、大輪は組み立ての途中で流されました。**
　 一部が残り、それに修理が加えられました。（『新潟県の山車』1987）
